2008年8月25日 (月)

広島で⑪

昨日の画像にもう一枚付け足したところ突然「強制終了」と相成りました。原因はセキリティソフトのためと思われます。Heikai2

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2008年8月24日 (日)

広島で⑩

広島公園の式典を見終わってから、いざアリーナへ。いやーーすごいすごい。主催者発表では6800人の人人人。全国からあつーーい、熱いメッセージや決意の言葉の数々。若い人たちが語る言葉もあり、感動ひとしおです。本当にありがとうございました。

Heikai1

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2008年8月21日 (木)

ヒロシマで⑨

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 今年の八月六日のヒロシマもたいそう暑かったです。朝から蝉がシャンシャンと鳴いていました。平和公園に着くと、式典はすでに始まっていました。そして、ご覧下さい。警備のすごさ。物々しいですね。ロープが二重に張り巡らされています。
 警備の人たちは暑いでしょうね。ものすごいカッコウです。見ているだけで暑い。首相の話が終わるやいなや、外回りのロープは説かれました。そして豪華な車とともに街へ消えていきました。こんなにたくさんの人に守られていては、ふつうの感覚なんて持てるわけがないですかね。なんて言う気になりましたよ。

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2008年8月19日 (火)

広島で⑧

さて、今回は広島で聞いた被爆体験。少し長くなりますが、ぜひ読んで下さい。

 八月五日の分科会で神奈川にお住まいの男性から被爆体験をお聞き
しました。聞いたあとすぐに、メモをおこしましたのでできるだけ
聞いたとおりに書いてみます。

 昭和五年生まれの77歳。当時は14歳。中学二年生ですね。爆
心地から1㎞ほどの家で被爆。大手町と言われていました。今は区
画が変わり違ってはいるけれど……………

 前夜、瀬戸内地方はあちこちで空襲の被害があり、一晩中警報が
鳴りっぱなしだった。朝方になってようやく解除になったため、子
どもたちも大人達もみんな寝不足状態だった。
 しかし、お母さんは朝ご飯の支度をし、父親は高知への出張へ旅
立って行った。後に聞けば、父親は電車の中で遠くヒロシマの方に
閃光が走ったのを見たと。
 その瞬間、自分と弟は2階でもう一度朝寝に入ったところだった。
ところが、1階がぺしゃんこにつぶれて自分たちは屋根の下敷きに
なった。どうにか板を押しのけて弟と這い出ると、あたりは真っ黒
焦げと火の海。
 母と妹は柱と柱に挟まれて、身動きできないままだった。まるで
中澤啓治作の「はだしのゲン」と同じ状況・あのシーンを思い描き
ます。その日のヒロシマでは「ゲン」があちこちにいたんだなと気
づかされます。
「行きなさい。逃げなさい。」
の母親の言葉。胸に突き刺さります。弟もなんとかしようとやって
いるうちに一本の柱が燃え尽きてしまいました。すると、動けるス
ペースができて、妹ともども救出。しかし、妹は脇腹に大きな穴が
開き、右足首も何かにかみつかれたようなひどい傷跡。母親は背中
に大やけどを負っていた。
 4人でヒロシマの街を逃げまどう。線路を越えて、市役所の広場
へ。しかしそこも火の勢いがすごく、熱風に包まれて、別の「建物
疎開」をした空き地・広場へ。
 防火用水に何度も入り、体と衣服を冷やしての避難。でもすぐに
服は乾き、体も熱くなってくる。防火用水にはボウフラがわくのを
予防するための乳液剤も入っており、何度も吐きだしては水に入っ
た。父親の話では、後々これを吐きだしていたのが良かったのでは
ないかと言われた。
 さて、父親との再会は。
 徳島に着いた父親は、会社の人から
「ヒロシマが大変なことになっているらしいから、はよ帰れ。」
と言われ、ヒロシマへとんぼ返り。ところが焼け跡には家の跡形も
なく、あーあと絶望のどん底に陥る。
 あちこちの収容所の名簿を探し回り、ついに家族の名前を見つけ
出し、収容されていた病院へ駆けつける。息子である自分や弟たち
は父親が必ず探し出してくれるものと信じ切っていたわけだが、父
親は息子の剣道の防具=お面の鉄の部分以外焼けてなくなっている
のを見て心底絶望していた。それだけに元気でいた家族を見ておい
おいと泣き崩れる。(武藤はここでナミダがドボっと出てしまいま
した。)
 妹が最初に死に、次に母親が逝った。13年前、医者になってが
んばって生き抜いた弟も肝臓ガンで死ぬ。
 一人ぼっちになってからこの語り部を始めた。

 最後にこう話を締めくくられました。
「私にとって、原水爆禁止運動の原点は「被爆の体験」です。これ
を語り継ぎ、未来につないでいくことです。それが核兵器をなくす
道だと思っています。」
 ことんと胸に落ちました。

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2008年8月17日 (日)

広島で⑦

63年を迎えた広島の朝はとっても暑かった。ここら辺のセミはミンミンと鳴きますが、広島のセミはシャンシャンと降ってくるかのごとく鳴きます。あの音は忘れることができません。私たちは平和公園のロープが巡らされて入ることはできない記念式典のまわりで黙祷し、平和への思いをさらにあつくあつくしました。Heiwakouen Hiroshimanite1

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2008年8月15日 (金)

広島で⑥

2日目の分科会は第13分科会「学習の広場」。午前中は神奈川にお住まいの被爆者の体験をお聞きしました。はだしのゲンという漫画とアニメを何度も読んだり視聴したりしていますが、この人のお話を聞いてたらはだしの限は広島のあちこちにいたんだなと気づかされます。詳しい話は報告集に載せたいと思っています。こうご期待。そして、午後は「手品も見せる大学教授」の安齋育郎先生。イヤーー、この人の話は目から鱗もんでした。Photo

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2008年8月14日 (木)

広島で⑤

時間を見つけて、原爆資料館に行きました。8月6日はこの近辺で日本の首相も来てスピーチする場所ですね。資料館はすごく混んでいました。修学旅行の生徒や「ツアー」の一行らしい親子連れの方達、外国旅行者の皆みなさん。私はすでにとっていますが、この資料館が発行する「メルマガ」を読んでみてください。

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

また、バーチャルミュージアムへもどうぞ。

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/index.htmlHeiwashiroyukannomaede

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2008年8月13日 (水)

広島で④

広島県立総合体育館で開会総会が行われました。主催者発表、6800人。すごい熱気です。新潟県代表団は固まって座りました。ステージの方はこんな感じでしたね。(写真)

Kaikaisoukai

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2008年8月11日 (月)

広島で③

8月4日分です。広島のお天気は曇りのち雨のち晴れでした。お好み焼きを食べ終えるやいなや、いざ記念式典の会場となっている平和公園へと。広電を降りると、ありゃりゃ雨です。仕方がないので濡れていきました。でもでもすぐに上がり一安心。遠くで「右翼」の妨害スピーカーが何やらがなり立てています。こちらは3000人の大行進です。私たちが歩き始めると雨もホントにやみました。

「雨模様 熱気で飛ばす 大行進!!」

Daikousin1 Dakousin2

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2008年8月10日 (日)

広島で②

広島といえば、紅葉まんじゅうが有名ですが、お好み焼きも結構盛んです。宿での結団式の後、広島のお好み焼き(写真)がでました。キャベツ卵で溶いたものと豚肉とそばが入り交じっていました。女性の方々は残した方も多くいましたが、私は完食。とはいっても11時になったばかりだったのでなかなか箸が進みませんでした。もったいない。Okonimiyaki

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